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∇ 脚注
※1:カイヨワは「遊び」というものを、その意味や原理も含めて体系的に分類した人です。アレア(運)とアゴン(競争)は氏の論の中心となる遊びの四大要素のうちの2つです。詳しくは「遊びと人間」(講談社学術文庫)を参照のこと。


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クリエイターズボード(掲示板)

- Column: 未知なる物と既知なるもの

Update: 2000/5/29


楽しみの二つの要素

 およそ遊びというものは、未知なるものと既知なるものの混合によって、楽しみが生じます。前者はそれが未知であるからこその新鮮感とか、あるいは結果の分からぬ運への期待。後者は既知であるからこその安心感とか、あるいはかかる情報を活用する事で巧く立ち回るという技術。カイヨワ的観点(※1)から言うならアレアとアゴンの対比でしょうか。これらの特性を知り、バランスよく配分することで面白いと評価される作品が出来上がるのです。以下、ストーリー系作品を例にあげて、分かりやすく説明していこうと思います。

未知なるものを知る楽しみ

 「この独特な世界観が好き」と評するとき、その独特とは、自分の想像力を超えたものである事を示します。スリル、サスペンス映画のごときは、先が見えない展開の連続です。いつ主人公がどんな策略によって陥れられるか、あるいは主人公の知己が殺されたり、消えたりと、とにかく話に信用が置けません。読み手にとって「分からない事を知ること、追うこと」は、それだけで楽しみとなります。
 また、今まで知らなかった事を知った事により、主人公のみならずプレイヤーに取って何か得られるものがあれば、これはゲームそのものに価値を見出すことになります。これは、次のような知識の獲得が可能です。

あかり「浩之ちゃん、頭ぼさぼさだよぉ。ちょっとお台所借りるよ?」
浩之「いいけど、何するんだ?」
 あかりのやつは、タオルを水に濡らし、それを絞ったかと思うと、なんと電子レンジに入れチン!とした。30秒ほど経って開けてみると、ほかほかとしたおしぼりができあがっていた。
あかり「これを頭にかぶせば、寝癖なんて一発で治っちゃうよ」

 リーフの「トゥハート」の一幕より。テキストは「こんな感じだったっけ」と自分で思い起こしているだけなので、等しくはありません、念のため。それはともかく鷹月は、この一幕を見て「得をした」という気分になったと同時に、「こういう手法があるんだな〜」とけっこう驚かされたものです。

既知は安心感を生み出す

 依然として人気の高いDQは「中世ファンタジー」がベースになっています。FFは6以降は変わってきたとはいえ、なおそれでも中世ファンタジー的な概念が存続しています。(機械が出てくるから直ちにサイバーファンタジーと判断するのは問題があります)この二者以外を取ってみても、人気のあるRPGやSLGの多くはやはりこれらの流れをどこかに持ったファンタジーです。この手の世界は飽きたとか散々言われてきているのに、それでも残っている理由は、「とっつき易さ」にあります。テーブルトークRPGで、「ロードス島みたいなファンタジー世界が舞台ね」と言われた時点で、はやプレイヤーたちの頭の中に、その世界観を思い出す事ができます。不審なものはなく、その世界を安心して受け入れることができるのです。
 別に世界観に限った事ではなく、「パターン」とか「王道的な展開」とか呼ばれるものも同様で、それには意外性を愉しむことはなくても、、非意外性、すなわち既知であるからこそ安心できるものが存在するのです。「姫がさらわれた」という導入から、はや「悪との戦い」の一連のドラマを連想することができます。そこではプレイヤーは主人公を操作しながらも、見知った軸に従って受動的に身を任せていく事ができるのです。

特定のプレイヤーにとっての既知

 更に既知は、安心感よりもう一つ上の、直接的な楽しみを与えてくれることがあります。しばし「ネタ」と呼ばれる趣向がそれにあたります。これは、特定の知識を持っているプレイヤーに対してなされるもので、たとえばキャラ甲が曰く、

甲「相手は降伏しろ、と言ってきています。どうしましょう?」
 これに対してキャラ乙が答える、
乙「バカめ、といってやれ」
甲「はっ?」
乙「バカめだ」

 なにそれ?と思う人も居るかもしれませんが、これは「宇宙戦艦ヤマト」の序盤でなされる会話です。この事を知らない人はそのまま気が付かないか、あるいは「何かのネタだろうな……」と釈然としないままなのですが、知っている人にとっては「にやり」ものです。この事象を私は「チャンネルが合う」と呼んでいます。
 いまのは漫画のネタですが、こうしたネタはいろんな所から持ってくることができます。例えばあるキャラ甲が相手国の兵士に成りすましたとします。それを乙に不審に思われます。

乙「おい、おまえの監督者はなんて名前だ?」
甲「(しまった)え、えと……うっかり忘れました」
乙「ほほう。自分の長の名前を知らぬ兵士、それはいったいどんな兵士だというのだ?バカめ。こいつを牢屋へブチこめ」

 なんでもない会話のように思えますが、これはシュメール人のことわざの一つ「シュメール語を知らぬ書記、それはいったいどんな書記」という言葉からの転用です。この場合、おそらく先程より知っている人は少ないでしょうし、知っていたとしても時には気づかず見過ごしてしまう事もあります。しかしこれに気づいた、チャンネルの合った人は、「やったね」と快哉をあげることでしょう。さらにネタがやや学問的であると、「この脚本家さんは結構物知りなんだなー」と思い、心持ち作品が高尚なものに見えてくるから不思議なものです。

 こういう「分かる人には分かる」ネタは多用すると、プレイする人を選ぶゲームになってしまい、かつゲームそのものの楽しさが「ネタ」に負けてしまう事にもなりかねないので注意が必要です。しかし、さりげなく的確な場所で使用することで、ゲームに味わいを出す事ができるのです。
 また、プレイする人は当然特定の知識を知っているものという前提で使う事もできます。シリーズものの二作目以降では、以前の作品のネタを使う事ができます。「おお、この王子は前作に出てきた……」これも一つの既知の情報への楽しみであり、この場合人を選ぶという「ふるいわけ」がないため、実に有効にプレイヤーたちの評価を得ることができるのです。

 最後に既知という主題とは外れてしまいますが、「ネタ提示」の奥の手をもひとつ紹介。

乙「……俺たち、もう絶望しかないのかな、残されたものは。あの平和な生活の事を思い出すと、なんだか泣けてくるよ」
丙「みじめな境遇に在って、しあわせの時を思い起こすより悲しきはなし、か……」
甲「ん?」
丙「400年くらい昔の、なんとかっていう小説にあった一節さ……」

 ここまで来ると恐らく、プレイヤーの中でも知っている人はごくごく一部に限られるでしょう。ダンテ「神曲」に使われた一文です。あくまで情景を補佐するフレーバーとして使っているだけで、敢えてタイトルを伝える必要はありません。そしてこのネタは、プレイヤーにとって将来、どこかでこの一節を目にしたときに「あの文はここから取ってきていたのか!」と発見するまで、楽しみを延期させているのです。鷹月はこういう使い方が実は大好きだったりします(^^;

まとめらしきもの

 あまりにもプレイヤーにとって未知あるいは独特なものばかりで構成されると、それを受け入れるまでに時間がかかり、耐えられない人は離れていってしまうでしょう。逆に、既知ばかりで構成されると、作品の底の薄さが表面化し、つまらなく感じます。この両者をうまく織り込むことが重要なのです。この辺のバランスは既存の作品をそうした観点から調べてみて覚えるのが良いかと思います。
 鷹月は「シンプルが実は一番良い」とか「パターンこそ素晴らしい」とか、こういう単純で画一的な解釈がどうも好きではなくて、シンメトリーと言いますか、ついつい逆の観点を持ち出すのが好きなようですね(^^;

- 鷹月ぐみな


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