Creation College 2009
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ゲーム機発売年表2

ゲーム機発売年表2
旧Cカレの記事である「ゲーム機販売年表」(2002年執筆)を7年ぶりに、現代版にアップデートしたものです。各機に関する細かいスペックは掲載しておりませんので、そちらはWikipediaから検索ください。
鷹月ぐみな / 初出:2009-05-20 / Update: 2009/05/24 00:27:18

1. ファミコン前後〜最初の次世代機まで



据え置き型
 ファミコン(1983)は初年度こそソフトの少なさもあって普及率はいまいちでしたが、スーパーマリオの登場で急激に一般家庭に広まり始めます。ただ、ゲーム機に金かけてゲームに都度5000円台の金をかけていくというのは親から見ればきついものがあり、1986年あたりまではまだ持っていない家庭も結構あったと思います。
 1985年にセガ・マークIIIという対抗機が出ましたが、ソフトの質の差で早々圧倒される形に。
 売れ行き急上昇でROMの生産が追いつかなくなった任天堂は、ディスクシステム(1986)をリリース。安価で生産可能で、容量もそこそこでセーブ機能も楽ちん……ということで任天堂は「今後は全てのソフトをディスクでリリースします」と一時期はシフト宣言まで飛び出す状態に。しかし1988年あたりから生産が追いつき、ROMの原価も急激に下がり大容量ROMのゲームが出せるようになってきて、ローディングが長く質の悪いディスク物は微妙ということで結局少しずつ衰退していくことになります。(雨の日はディスクの読み取りが悪いとか、今じゃありえませんねえ)
 この時期に放たれたPCエンジン(1987)、メガドライブ(1988)はファミコンの圧倒的なシェアに勝つことはできませんでしたが、採算ラインは何とか持ちこたえられたようで細々と生き延びます。

 ファミコンの難点は(当時としては画期的とはいえ)その表現能力の弱さにあり、これを改善するものとして登場したのがスーパーファミコン(1990)。CPU/メモリ/グラフィック性能全てが数倍となり、再びの大ブレイクとなりました。しかし裏路線で登場していたPCエンジンDuo(1991)が大容量化という新時代への基礎を築くことに。ただしDuo自体の表現性能はスーパーファミコンより相当劣り、読み取り速度も遅く、その両者の良いところ取りをした製品が出るには多少の時間を必要としました。
 基礎性能、CD-ROMなどでの大容量メディア、それから3Dサポート。これらを備えた次世代機として最初に登場したのは新鋭Panasonicの3DO REAL(1993)。
 しかし、Panasonicはコンシューマへの初参入ということでラインナップの足並みが揃わず、そんなうちに本命となるセガサターン(1994)、プレイステーション(1994)が登場し、次世代への踏み台となってしまいました。
 スーファミは圧倒的なシェアがありましたが、徐々にユーザはこの次世代機、特にプレイステーションに流れ始めていきます。コンシューマゲーム機初投入のソニーがいきなり大成功したというのは快挙と言えます。

携帯ゲーム機
 ゲームボーイ(1989)はファミコンに比べれば遅めの投入。画面は小さいわあんがい重いわモノクロ4階調だわと、今のPSPやDSと比べれば貧相この上ないのですが、それでも任意のゲームを持ち運びできることは衝撃的であり、瞬く間に大ヒットしました。
 翌年に投入されたSEGAのゲームギア(1990)は、なんとゲームボーイカラーより8年も前に投入されたカラーバックライト液晶搭載機。超先進的なゲーム機であったにも関わらず、その大きさや電池的なコストパフォーマンスの圧倒的な悪さのせいで、ゲームボーイからシェアを奪う事ができずに敗北することとなります。しかしシャイニングフォース外伝をはじめとする名作も多く、当時のゲームボーイでは表現しえない作品を多く輩出しました。この機種が成功していればゲーム史はだいぶ変わっていた気もするだけにまったく惜しいものです。

2. 次世代機〜2009年まで



据え置き型
 プレイステーションの勢いが増して来つつあったころに任天堂も次世代機戦争に参戦、NINTENDO64(1996)を放ちます。名前にあるように64ビット機であり、潜在能力はかなりのものでしたが、1年の出遅れが響いたことと他の次世代機と違って通常のROMであったため容量を自由に使えず作り手側からの評判が良くなかったようです。自社製品であるマリオカートやゼルダなどは評判が良く、機器としては生き残りはしましたが、ファミコン以来の任天堂の圧倒的なシェアがとうとう奪われてしまいました。のちに巻きかえしを図るべくゲームキューブ(2001)を投入しますが、ソニーのプレイステーション2(2000)にまたもや負け、10年間は苦杯を舐めることになります。
 セガもセガサターンの敗色が見え、巻き返しとしてドリームキャスト(1998)を投入。ファンタシースターオンラインなどの大ヒット作品も出ましたが、結局こちらもPS2の性能が優秀すぎて太刀打ちできませんでした。
 2002年にMicrosoftが突如XBOXを投入しましたが、筐体の大きさやら販路やら色々と問題があり、PS2の牙城を崩すどころかゲームキューブにすら完敗するくらいの大コケとなりました。

 PS2の一人勝ちとなりましたが、さらにその性能を高めようとしたプレイステーション3(2006)が問題児。5万だの6万は子供はおろか大人ですらおいそれと手が出ず、サードパーティ側も製作に苦戦する状況。そんな中でXBOX 360(2005)とWii(2006)が登場。両方ともPS3より圧倒的に安い価格で、XBOX360は性能で、Wiiは傾きスティックというユニークなインタフェースで目を引くことに成功。特にWiiのほうは子供たちに大人気となり、シェアを(PS3からというよりPS2から)奪っていくことに成功します。
 現状はWii、PS3&PS2、XBOX360がシェア率はともかく並存しているという珍しい状況になっています。

携帯ゲーム機
 ゲームギアが脱落し、相手のいなくなったゲームボーイは長きに渡る栄華を味わう事になりました。途中、小型化されたポケットなどを出したにしろ、ようやくのゲームボーイカラー(1998)の登場は初代GBから9年も経った後の話。
 カラー化はユーザーよりも寧ろメーカー側が待ち望んでいた機体でして、ポケットモンスター(金・銀)を筆頭とするカラー対応作品が矢継ぎ早に登場し、やや沈みがちだった携帯ゲーム機市場が急に活性化されました。
 その流れの中でワンダースワン(1999)が登場しますが、CPU性能はさておき、カラー時代に入った携帯ゲーム機の中で今更モノクロから出したというのが致命的なミスだったように思えます。翌年ようやくワンダースワンカラー(2000)を出し、FFとのコラボレーションで一時期は注目を浴びましたが、翌年の任天堂のゲームボーイアドバンス(2001)の登場でその他の携帯ゲーム機は全て沈没していきました。

 NintendoDS(2004)、PSP(2004)によって携帯ゲーム機は新しい局面を迎える事になります。とうとう携帯ゲーム機市場も任天堂は始めての強敵ソニーを迎えたわけです。最初は圧倒的なシェアを背景とした任天堂陣営が優勢でしたが、NDSの液晶には発売時からタッチパネル式であるがゆえの光量が足りないという問題を抱えており、ゲーマーからの評価はPSPの方が優勢でした。
 しかしDSLite(2006)によってDSの問題点が修正されると共にコンパクト化。タッチパネルコンセプトとそれを前面に出した販売戦略が大成功し、この市場の第1位は結局任天堂のままとなりました。が、PSPも2位ではありましたが市場を形成し、現在においても好調に売り上げを伸ばしています。


3. 終わりに

 ゲーム機の年表はゲーム機の主導権争いの歴史でもあったわけですが、現在は据え置き型も携帯型もどちらも共存状態に入っています。
 図表を見る限りは据え置き型は来年あたりぼちぼち新しい機種が投入されても良い時期に思えますが、ソニーは不況とPS3のオーバーコストで体力がなくなっており、セガはもはやハードメーカーからは撤退してしまった現状、任天堂がひょっとしたらWiiの上位機を出す可能性があるかどうかくらいでしょうか。
 携帯ゲーム機市場のほうはそろそろPSP2の情報が出てきそうですが、いまやこの市場は携帯電話、とくにiPhoneという新しいライバルを迎えており、今後もまた熾烈な主導権争いが繰り広げられそうです。



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