T.G.Inf:: 鷹月ぐみな情報局 2014
クリエイター活動再開準備中

SelfNote201308



2013/05



2013/08/18(日) - 定時生存報告2

 お盆時期でしたが、今月も有休は取れる状況ではありませんでした。9月になったらこの忙しさから解放されるかというと……少し怪しくなってきたような気も(−−;
 色々とストレスが溜まってきているのですが、絵描きに逃避して何とかかわしています。

創作: Pixivアクティビティと特定えちジャンルにおける読み手の投影



 そんな絵描きのお話。こっそりやってる(?)Pixiv活動49日目のスタット。閲覧数11万を越え、フォロワー様も500人を大きく越えました。イラストのデイリーランキングも12回ほど頂いてしまったりと想定外な順調っぷりです。(もっとも、悪堕ち系や洗脳系の需要が高すぎるせいで、描いたら検索閲覧数でそのままランキングになってしまうという入れ食い状態みたいな所がありますが…)
 なお、えち絵比率が当初予定より圧倒的に高くなってしまったので、色塗りをはじめる暁には、普通絵を多めにして揺り戻しをしようと思っています。別にそれを狙ったものではないですが、読者獲得戦略的には結構有用らしいですね。(最初から一般絵だけだと閲覧数が伸びないけどフォロワーを増やしておけば、一般絵も比較的閲覧数が稼げるという話。特にオリジナル系の絵師については差が大きいようで)

 そういえばPixivについて以前、書き手と読者の関係がうまく成立していると書きました。それはその通りなのですが、えち系ジャンルにおける関係はもう少し特殊な事情があります。それは、読者側も普段から妄想という行為によって好きなジャンルについて頭の中で展開しているということで、それらを媒体に表現できるか否かによって作り手か読者かに分かれるわけです。そんな彼らは、書き手の人の作品を通じて、自己の欲求を満たすわけですがそこには投影的な心境が見られます。それは受容ではなく委託というべきもので、V・プロップが「私はモーツァルトのようには曲は弾けないが、モーツァルトが私を表現してくれる」というような事を言ったことがあったと思うのですが、これに何となく類するものだと感じています。こういう気持ちを感じ取るゆえに書き手である私もある種の共有感を抱きながら活動をしています。


2013/08/11(日) - 定時生存報告

 仕事が相変わらずHeavyな日々が続いていますがとりあえず生きてはいます。
 巷はコミケ? 冬は何かやりたいなーと思っていたのですけどね……この状況は無理っぽいですし、明日は休みですが体力が無いし月曜休めるわけでもありませんので素直に家で寝ていようと思います・・

IT: 踏んだり蹴ったりNEC

 当初から「何考えてるの?」と非難のあったドコモのツートップ戦略。
 当たり前の結果としてソニー(XPeria A)とサムスン(Galaxy)の売り上げは上がり他は下がりました。林檎の奴隷(※iPhoneを扱うキャリアは、その販売の半数以上をiPhoneにしなければいけないという制約が掛かる)に成り下がったソフバン、auと同じ道は辿らずやってきただけに最後の砦となっていたドコモに裏切られた結果が「NECスマホ撤退」「パナソニックスマホ撤退」という流れ。まあ両者共にツートップ以前からスマホのシェア争いで圧倒的劣勢だったわけですが。

 しかしNECは技術力は高いものを持っているものの若干保守的で動きが遅いせいもあって、世の中がスマホに移行し始めた頃に「N-08B(http://www.n-keitai.com/n-08b/)」なる、キーボードもついた、誰もFOMAと思えない概観&性能を持った携帯を販売し(鷹月ぐみなはこれを3年愛用)、おそらく社内的にも「こいつはオンリーワンだ」という自信があったのだと思いますが、結果はスマホ自体に飲み込まれて売れ行き悪し。その結果「N-08Bのような携帯はもう出しません>< うちもスマホに参入します><」と公式発表がわざわざ出てしまっていたわけですが、今回のスマホ撤退で何とまた従来型ケータイに戻るそうですw
 となればN-08Bを超改造した新作をNECには期待しちゃうわけですが、まあ、ないですよね…

≪おまけ:N-08Bの良いところ≫
・超ロングバッテリー
・QWERTYフルキーボード付きで文章打ちも可能
・ワンセグ、オサイフケータイといったもの以外にLuiやらテザリングやらFOMAのレベルを遥かに越えた機能が盛りだくさん

≪おまけ:N-08Bのわるいところ≫
・アウトカメラなし
・オーディオ端子なし
・バイブレーター機能なし
・無駄に横長に広いけどアプリ側が対応してない結果、かえって通常形態より画面領域が狭く見えることも。また、実質解像度が高いにも関わらず最小文字がやたらでかいため画面上の情報量が結果的にたいしたことが無い
・せっかくのワープロソフト付きなのにレスポンスが悪くて長文作成に使えない

 欠点を改良するだけでだいぶ理想のFOMA端末になるんですけどねー

創作: こっそりPixivアクティビティ

 こっそりやってるピクシブ活動も40日を過ぎまして、今ではすっかりえち絵描きと化している私です。
 200フォロワー越えた〜わーいと思っていたら、非公開フォロー(フォロワー)なんてものもあるんですね。公開フォロワーと合わせた合算を調べてみたところ、



 440フォロワー! どどーん! こんなにいたのねびっくりやー(ありがとうございます)

 まあ、Twitterのフォローの意味合いよりもユルく、人に対するブックマークという感覚でフォローするらしく、上手い人なら1000、2000なんてすぐに越えてしまうらしいです。ともあれ、フォローはまた見てみたいという意思がこめられているのは確かなので、それが400人以上いるというのは嬉しいものです。嬉しい反面、私自身は自分の画力状況を知っており、えち絵でそれをごまかしている面も否めず、フォロワー数に画力が不相応だという気持ちも抱いています。絵を楽しく描こうとするのは良い。ただ、Pixiv活動をしていると否が応でも他の絵師たちの絵が次々飛び込んできまして、それを見るたびに「あーこういう普通の絵がまだ描けないんだよなあ…」と考えちゃったりするわけです。ネガティブに捉えすぎているわけでもなくて、これは、もう少し絵が上手くなりたいという気持ちの表れとも感じているので良い兆候だと思っています。あとはどうやって、自分の満足するポイントまで到達するか、できるかという問題。
 絵の描けない人はシンプルに「描ける人と描けない人」の2種類がいるように思ってしまいがちですが、実際はこの中間段階がいろいろあります。そして、描いていたらいつのまにか上手くなっていたというのは素養の高い人くらいなもので、並程度の人は何かもう少し工夫するなりデッサン練習するなり、ただ単に数こなすだけではいけないステップを踏まなくては1つ上に進めなかったりします。私もちょうどその壁に当たっているような気がします。もっとも、こういうことを苦行みたく考えてしまう人はそもそも本当にその分野に向いている人ではないかもしれません。絵描きといっても、彩色技術、フィルタ技術、背景構図、人体、女の子絵、男の子絵、親父老人絵、えち絵、静物画、動物画などなど、伸ばすべきことはたくさんあるわけでして、画力は結局のところこれらの綜合です。私の場合は壁にぶつかる云々以前に、未練習ジャンルも多すぎるので、そちらの方とあわせてゆるりと描いていければないいんだろうなあと頭では既に結論が出てしまってはいるのです。
 神野アカウントが(そのえち絵傾向ゆえに)妙に変な人気を博すような状況にもしなってしまったら、鷹月ぐみなで別に全年齢アカウント取得して、そちらで気楽になんかやるのもありなのかもですね。




セルフノート