GAOGAO_REVIEW_07




7. 総合論評2〜4つの世界を駆け抜けて〜
Author:鷹月ぐみな / Update: 2014/12/13 10:52:59


a. 4つの世界を駆け抜けて

 ずいぶん長きにわたって、このGAOGAO!シリーズについて書いてきました。1998年当時の「美少女ソフト総合ファンブック」の執筆チームの一人であった某氏は、「GAOGAO! は、全部続けてプレイしてはじめて、本当の面白さが分かる」と評しました。レビューも似たようなところがあり、これだけ書いてようやく総合的な視点から作品について触れられるようなところがあります。
 「ラジカルシークエンス」から「カナン」まで、ディスク31枚(自信なし)に渡った「人間と変異体の行く末」というテーマについて決着がなされ、物語も幕を閉じました。

 「ラジカルシークエンス」では、変異体はあまりにユニークな存在として自ら身を消し、「パンドラの森」においてようやく彼らに大自然という居場所が与えられ、人間の束縛から離れました。「ワイルドフォース」の時代になって力関係は逆転し、ニンゲンは伝説の存在となり、「カナン」において残された人間と変異体たちが再び一つとなりました。結末には「融和、共生」「自然への回帰」という、一つの理想の世界、いわゆるユートピアが描かれています。困ったときには助け合い、生まれで差別する事もない土地。おもわずトルストイの「イワンのばか」の結末を思い出してしまいました。
 マクロ的な解決はこの通りですが、ミクロ的にはもう一つのテーマとして、登場人物たちの成長とキャラ間の信頼、特に主人公との信頼関係の構築が挙げられます。主人公を介することで「自分を縛っていた過去を捨てる、もしくは清算して乗り越える」あるいは「自信を持って行動する」ようになり、彼ら、彼女らを大人へと変えていきました。中には彼女たち自身の勇気によって乗り越えたものもありましたが、その勇気を与えたのはほとんどにおいて主人公です。エルザ、ニース、ナギ、ラビィ、ディライア……。本シリーズにおけるセックスの機能はまさに彼女達にその勇気を与える事でした。
(但し、美少女ゲームのお約束的にHシーンにもつれこむという展開は多々見られました。そのあたりの不自然さも作り手も分かっていたようで、ワイルドフォースやカナンにおいては、Hシーンの多くは選択制となっており、Hしないまま物語を続けることができたりしました。美少女ゲームとしては自己矛盾していそうな配慮ですが、このシリーズがエロと違ったところで求められていた証拠でもあります)

 Hシーンは最後の一押しだったり、既に信頼を得てからの行為であったりしたわけですが、それではそこに至るまでの信頼はどのように勝ち取っていったか。テーマと合わせて考えるためにも、ここで主人公達の性格と役割について一通り確認する必要があります。

b. 主人公分析〜行動する主人公〜

 「ラジカルシークエンス」の主人公は大学生・柴田祐二です。彼は決して力のある存在ではなく個性の強い人物でもない自然体のキャラクターです。敢えて言うならば妙な生き物であっても顔が綺麗だったり可愛かったり、心を持っていれば好きになれてしまう人間であり、部屋をメチャクチャに荒らされてもため息一つだけで、騒ぎ立てたり取り乱す事のない「大雑把さ」を持っています。彼はミィに恋する、愛するというよりは「守ってあげる」という感じで彼女の世話をします(まあ、その中でHしちゃったりもするわけですが)。恋人にも優しく、また生命を慈しむ心を持っています。
 概ねGAOGAO!シリーズに共通して男主人公は敵を作らないタイプという傾向があります。(とりわけ第1作が顕著)
 対立するキャラクターたち(ゲームの性質上女性が多い)は次々登場しますが、主人公がが自分を敵視していない事にそのうち気づき、敵意を一時的にであれ和らげたりもします。敵なのに自分のことすら心配するその性格に対して彼女たちは惹かれていく――そんな構図が何度も登場してきました。

 「パンドラの森」の主人公格はルシアジャッキーです。作品のマニュアルによると最初はルシア一人が主人公だったと書いてありますが、最終的にはジャッキーの方が主人公になってしまったのは既にレビューで触れた通りです。前半こそルシアが行動の主導権を握ってはいますが、たよりないジャッキーが「ルシアを守りたい!」と決意し何らかの行動を起こすたびに、イニシアティブに変化が訪れていきます。それは「ヘンゼルとグレーテル」の逆パターンでした。
 作中に登場する女性達はルシアによっては成長することなく、ジャッキーによって成長していくことになります。彼は祐二よりも力、知恵の両面で輪をかけて貧弱だけれども、行動力と優しさはさらに上を行きます。ライラなどからすればジャッキーの不自然と思えるまでのその行動にとうとう「あいつの力になれないかな?」と思うようになります。 この結果、お互いがお互いのために行動するという構造が2作目において生まれました。カナンの「共生」の萌芽と言えましょう。

 「ワイルドフォース」のウルフィは優しさから大胆さ、知恵、力まですべてを兼ね備えた優越者型タイプのヒーローです。しかしながら高慢なところもなく他人を信用し、レッテルなどでの差別をせずにきちんと相手を見て判断するという従来の主人公の特質もそのまま兼ね備えています。最初はか弱いヒロインであるラビィ1人を守るナイトといった役割でしたが、行きがかり上彼は次々と人に頼られ、また彼も積極的に人を助けようとします。そうして一行でもリーダーとして行動するようになります。こういうキャラが女性陣に惚れられるのはほとんど必然と言ったレベルであり、プレイヤー視点でも男性、女性の両者からもかっこいい!と当時好かれたキャラとなりました。
 美少女ゲームの歴史全体からしても屈指の男性主人公の一人に数えて良いと思います。

 「カナン」では、前作に続いてのウルフィのほかにもう一人、カイトが主人公となります。こちらはウルフィとは反対に顔が良いとは言えなければ力はほとんどありません。それでも、いきなりハードな環境に追いやられ、最初は自分のために行動し、そして後には人のために一歩を踏み出していくようになります。

【ウルフィ】変異体 - 力強い - 行動力あり
【カイト】人間 - 弱い - 行動力あり

 種族と力においては二人は真逆の関係にあります。ヒーロータイプの主人公と一般人タイプの主人公は求められる役割、働きかける方向性も異なるものとなり、一つの世界に対して両者が補完する形で働きかけをしていくことになります。ウルフィはニンゲンたちと、カイトは変異体たちと触れ合い、相手についての理解を深め、相手からの信頼も少しずつ勝ち得ていくようになります。
 但しバランスを冷静に見ていくとカイトはウルフィよりも一段格が下だった感はやはりありました。さすがに前作品の積み上げを持つウルフィと張り合うには無理があったといいますか。主人公というよりは一般人の感覚、感性を持った視点者としての役割で取り扱った方が良いのかもしれません。実際後半ウルフィパートばっかりになっちゃいますし。
 そんなカイトに対して女性キャラが惹かれていく構図は、第2作目のジャッキーとほぼ似たものだったと思います。非力なのに行動する主人公に好意を感じ、自分も何かできないかと立ち上がっていくわけです。

 四作として見るとやはり「何があっても前に進もうとする」「他人に共感し思いやる心」というキーワードが主人公から強く浮かび上がってきました。
 美少女ゲームの男性主人公は無個性か変人か高慢か単に強いだけ明るいだけとか、性格付けがあったとしても物足りなさを感じることが多く、それなのになぜか女性陣にモテてしまうという状況に違和感を多々感じることがあります。GAOGAO!の作品群はモテる主人公の特質についてきちんと確認させられる作品だと感じました。そういう主人公だからこそ安心して感情移入してゲームをプレイすることができるわけです。

c. 欠けたピース

 1998年の同人誌版をベースとした、2002年〜2005年にかけてWebに掲載した縮刷版のGAOGAO!解析はここで終わりとなっていますが、オリジナル版ではさらに続きがありました。それは「変異体」たちはそもそも何者で、どのような意図を持って作品に登場させ、人間との関係を描いたのかという話です。
 これを考察するために、(冒頭の方でも触れましたが、)H.MIYABI氏の手になる「デミノイド」系作品、「ARMIST」、ついでに「メリーゴーランド」についても見ていく必要が出てきました。4つの世界を駆け抜けてきましたが、旅の終着点にたどり着く前に、あと二つ、別の作品のレビューにお付き合いください。そちらは「寄り道」として、あまり長いものではありません。





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