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∇ 脚注 ※1:カイヨワは「遊び」というものを、その意味や原理も含めて体系的に分類した人です。アレア(運)とアゴン(競争)は氏の論の中心となる遊びの四大要素のうちの2つです。詳しくは「遊びと人間」(講談社学術文庫)を参照のこと。
∇ 感想はこちらに |
およそ遊びというものは、未知なるものと既知なるものの混合によって、楽しみが生じます。前者はそれが未知であるからこその新鮮感とか、あるいは結果の分からぬ運への期待。後者は既知であるからこその安心感とか、あるいはかかる情報を活用する事で巧く立ち回るという技術。カイヨワ的観点(※1)から言うならアレアとアゴンの対比でしょうか。これらの特性を知り、バランスよく配分することで面白いと評価される作品が出来上がるのです。以下、ストーリー系作品を例にあげて、分かりやすく説明していこうと思います。
「この独特な世界観が好き」と評するとき、その独特とは、自分の想像力を超えたものである事を示します。スリル、サスペンス映画のごときは、先が見えない展開の連続です。いつ主人公がどんな策略によって陥れられるか、あるいは主人公の知己が殺されたり、消えたりと、とにかく話に信用が置けません。読み手にとって「分からない事を知ること、追うこと」は、それだけで楽しみとなります。 また、今まで知らなかった事を知った事により、主人公のみならずプレイヤーに取って何か得られるものがあれば、これはゲームそのものに価値を見出すことになります。これは、次のような知識の獲得が可能です。
あかり「浩之ちゃん、頭ぼさぼさだよぉ。ちょっとお台所借りるよ?」 リーフの「トゥハート」の一幕より。テキストは「こんな感じだったっけ」と自分で思い起こしているだけなので、等しくはありません、念のため。それはともかく鷹月は、この一幕を見て「得をした」という気分になったと同時に、「こういう手法があるんだな~」とけっこう驚かされたものです。
甲「相手は降伏しろ、と言ってきています。どうしましょう?」
なにそれ?と思う人も居るかもしれませんが、これは「宇宙戦艦ヤマト」の序盤でなされる会話です。この事を知らない人はそのまま気が付かないか、あるいは「何かのネタだろうな……」と釈然としないままなのですが、知っている人にとっては「にやり」ものです。この事象を私は「チャンネルが合う」と呼んでいます。
乙「おい、おまえの監督者はなんて名前だ?」 なんでもない会話のように思えますが、これはシュメール人のことわざの一つ「シュメール語を知らぬ書記、それはいったいどんな書記」という言葉からの転用です。この場合、おそらく先程より知っている人は少ないでしょうし、知っていたとしても時には気づかず見過ごしてしまう事もあります。しかしこれに気づいた、チャンネルの合った人は、「やったね」と快哉をあげることでしょう。さらにネタがやや学問的であると、「この脚本家さんは結構物知りなんだなー」と思い、心持ち作品が高尚なものに見えてくるから不思議なものです。
こういう「分かる人には分かる」ネタは多用すると、プレイする人を選ぶゲームになってしまい、かつゲームそのものの楽しさが「ネタ」に負けてしまう事にもなりかねないので注意が必要です。しかし、さりげなく的確な場所で使用することで、ゲームに味わいを出す事ができるのです。 最後に既知という主題とは外れてしまいますが、「ネタ提示」の奥の手をもひとつ紹介。
乙「……俺たち、もう絶望しかないのかな、残されたものは。あの平和な生活の事を思い出すと、なんだか泣けてくるよ」 ここまで来ると恐らく、プレイヤーの中でも知っている人はごくごく一部に限られるでしょう。ダンテ「神曲」に使われた一文です。あくまで情景を補佐するフレーバーとして使っているだけで、敢えてタイトルを伝える必要はありません。そしてこのネタは、プレイヤーにとって将来、どこかでこの一節を目にしたときに「あの文はここから取ってきていたのか!」と発見するまで、楽しみを延期させているのです。鷹月はこういう使い方が実は大好きだったりします(^^;
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