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∇ 脚注
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遊び手には許されて、ほとんどの作り手には許されていない考え方があります。それは、「要するに面白ければいいんですね」です。創作全般に言えることですが、特にゲーム製作に関しては、イメージの昇華という作業に対して、センスや想像力のみならず、知識と技術、経験を必要とします。自分のセンスを信じる事そのものは良いと思うのですが、実際の評価は作品にして、第三者からはじめて受けて知るものです。考えが行き詰まった時に、「面白い作品を……」の段階まで一度戻る事は有益ですが、個々の細かな思考からの逃避を図るようではまだまだ甘いです。「要するに動けばいいんだろ」で出来上がったようなものはロクなものになりません。そんな考えで素晴らしいものが出来上がったとしたら、よほど才能に恵まれた人なんでしょう。実際にそういう人はいるんですよね、時々(^^;)。まったく羨ましい限りです。
ともかく、プログラムをするのにはプログラムの技術が必要であるのと同様、ゲームを考えるのにもその下積みとなる知識がそれなりに要るのです。いや、逆にした方が分かりやすいかもしれませんね。
「プログラム技術のレベルに応じてプログラム作品の出来が決まる。同様、作り手の持つ知識の幅が想像力の幅となり、考え出すゲームの出来に比例する」です。「プログラムは書いたようにしか動かない。思ったように動かないのは、コードを書いた人の腕が悪いのであってパソコンには何の責任もない」という名言もありましたね。はっきり言ってしまえば、ゲームだけの知識でゲームを考えようとすれば、その既存の枠から抜けることはできないし、「知っている人」の目からは、作品の底まで暴かれてしまうのがオチなのです。
少し話が逸れましたね(^^;)、閑話休題。知識を得ることが重要なんだ、と書きましたが、これは何も難しく考える必要はありません。このカレッジの記事も、100%を短期間で覚えることは無理でしょうし、そんな必要はないのです。「ふむふむ」と文を一通り、自分のペースで吟味するくらいで良いのです。記事は簡単には逃げませんから、また必要かなと思った時に読み返してくれれば良い、それくらいの軽いスタンスで接していくだけで、実は相当の知識を自然に吸収していくものです。数学が苦手だ嫌いだという人がいますが、彼らも2年くらい下の学年の数学の本を見ると、「おお、これならできる」と、当時は難しかったはずなのに、書かれている事が容易に納得できたりするものです(と、数学の免許を持っているのでそれっぽく語る私……)。知識というものは、読みつづけることで、有機的に頭の中で結合されていくのです。こう考えると、いろんな記事や文章を読むことが楽しくなってきませんか?……そうでもない?しくしく(T_T ともあれ、ここに限らず読物系は色々役に立つぞ!と言う事を主張したいのです。どちらかというと直接役に立つ技術系にばかり目が行ってしまうことの方が多いんですけどね。しかしゲームを2000も3000もプレイしてきた身としては 技術+ちょこっとだけ知識系で出来ているような作品には魅力を感じなくなっているわけで(^^;)。近年はゲーム食傷とか呼ばれていますけど、たかが20年の浅い歴史で限界の壁が見えるなんておかしいのです。まだまだゲームというものの表現領域は広げられるはずです。そのためには、技術と知識の両面を学んでいく必要があって、そんな折に、「要するに面白ければ……」という段階で「結論付け」られてしまっては、先に進めなくなるのでは?と私は思うのです。 ……をを、自論展開しすぎたかも(汗)。 - 鷹月ぐみな
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