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∇ 脚注 ※1:ウラジーミル・プロップ。ロシアの民話学者。「昔話の形態学」「魔法昔話の起源」などが著書。鷹月のファンタジー解析において、氏の著書は無くてはならない存在です。 ※2:昔話の形態から外れると直ちにつまらなくなる、等という事ではないです。しかし、昔話には昔話特有の文体や展開が存在するので、その筋から外れることは、韻文の中に散文を入れてしまうような効果をもたらすのです。
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DQは解析する価値のある作品と書きましたが、正直1〜3に関してはそれは部分的なものにとどまり、語るべき所はそんなに多くはありません。しかし、4以降の作品は、この1〜3が礎となっていることは容易に理解でき、それゆえ無視して進める訳にもいきません。まあ、ゆっくり進めていきましょう。 なお、読み手が混乱しないように、これから行う作品解析の目的と手段をもう一度書いておきます。構成要素や筋ひとつの意味、あるいは要素同士の関係を明らかにしていくことで、いかにこれらの作品が緻密に練り上げられたものであるかを知ってもらうこと、そしてそれらの組み方を読み手に学んでもらう事が目的です。
DQシリーズは、今後何度も同じ事を書く事になりますが、なべて昔話・神話を元にしてストーリーが構成されています(ただし2だけは例外)。それも、単に欲しい部分だけ切り取ってくるのではなく、筋そのものも昔話・神話に忠実です。この忠実性をリアリティのために切り捨てたのがFF(特に4以降)なのですが、そのへんの比較は別の章で行うことにして、一先ずDQにだけ焦点を当てましょう。 DQ1は、ゲームの規模が規模だけに、登場人物の構図が非常に単純です。サイドストーリーのキャラを除き、本筋だけを追うならば、直ちに「勇者」「王」「姫」「竜の王」の4者に絞られます。この構図は「竜殺し」型の昔話にしばし見られるもので(タイトルがまんまドラゴン云々ですしね)、一部で言われるような「DQはアーサー王伝説を元にしている」との指摘は正しいとは言えません。 竜殺しのモチーフの中で姫が登場する昔話の基本的構造は次の通りです。基本的と書くのは、しばしこれらは変形して使われるからです。
[1] 世界は割と平和だった。 DQ1はこの筋に見事なまでに従っています。さらに、V・プロップ(※1)が言うような昔話・神話の起源に従うと、異邦者も単なる旅人では駄目で、二つの資格を必要とします。
[A] 大蛇を倒すための資格。それは即ち自分が大蛇の血を引いていなくてはならない。(=大蛇の属性を持つ)
[A] は背後の背後に潜む決まりであり、竜殺しの昔話をさっと読んだだけでもこの資格については出てきません。ともあれ、ロシア昔話(アファナーシェフ)の中での大蛇の独り言の、「私は誰にも負けたことがない。私を倒すことができるのはイワン王子だけなのだ」を読むとき、ある血統のみが大蛇を倒す事ができるのだ
と言うことまでは推測できるのです。
先ほどは単語に注視しましたが、もう一つの観点から見てみましょう。主人公は資格があるからとはいえ、竜王の城へはおいそれとは向かえません。「異郷への渡り」タイプの昔話は常にそうなのですが、目的地に行くまでにはいくつかの中継地点があります。これは単に街があるとかそういった意味ではなくて、主人公を阻むための罠であり障害であったりします。そしてこれらすべてを越えていくには、先に挙げた[A][B]以外の助けが必要になります。
[C] 援助者
この二つの少なくとも一方が主人公を助けてくれます。[C]は妖精であったり、風の魔人だったり、醜い老婆(ヤガー)であったりします。[D]は死者に捧げた様々な道具です。なぜ死者が関係するのか?異郷とは死の世界であるがゆえに、道具は死者にまつわるものでなくてはならないのです。
一番重要な筋の解釈が終わってしまったので、後は、個々のイベントについて少しだけ見ていくことにします。
さあ竜王と決戦だ、という時に、相手は次のような提案をしてきます。(正式な台詞はちょっとゲームが手元にないため確認できず)
この「世界の半分」とか「国の半分」というネタも、昔話で時折見られるものです。そしてこれは常に、相手を納得させるためのカモフラージュとして用いられ、事実では決して半分こという形で平和的に解決されたことはただの一例もありません。
王はある時、無理難題を出し、これを遂行した者に娘を嫁にやろうと約束します。 DQの場合は、この半分継承のモチーフを王から竜王に変えて使っています。しかしこうした所で、本筋のまま、勇者が竜王を倒して最後に姫と結ばれれば、今の王が追い落とされる裏の事実には変わりありません。それでは不都合であるために、勇者は結局、アレフガルドから旅に出て、この問題を違った形で平和に解決するのです。もちろん姫を連れて。果たして彼らはDQ2に見られるように、別な国で王国を作ることになったわけです。
ここまで書いたことは全て私の推測によるもので、別にどこかから資料を取ってきたわけではありません。ゆえに、すべてこの意図に従って製作されていたかという確証は無いわけですが、大部分、特に限定するなら太陽の石や雨雲の杖のような道具は、活用法から命名まで、極めて推測したような意図を皆さん感じてもらえるでしょうし、全体として昔話(およびその起源)の筋を持っている事はまず間違いないと思います。 これは偶然考えてできるような代物ではありません。堀井氏(あるいはシナリオを考えた人が別に居るならその人)が、いかに深いファンタジーの知識を持っているかを証明するものでしょう。名作はそれを構成する、しかるべき基盤を持っています。決して単なるセンスによって成されるものではなく、色々と学ばなくてはいけないのですね。 それにしても、こうして考察するに、DQ1はやはりエポックな作品と言うべきでしょう。コンピュータRPGの祖は確かにアカラベス・WIZ・ウルティマです。しかし、それらのパクリに留まらず、正統的に昔話をモチーフにした、おそらく世界で最初のファンタジーCRPG作品を作り上げたわけですし、事実こうした気高さ(透明性と言っても良いです)とジャンルとしての面白さが、その後のRPG人気を作り上げたのです。
こう書くと、DQ1はまごう事なき傑作だと私が言っているように思えますが、別にそういう訳ではありません。昔話の筋に従いきれず、そのため意味を半ば喪失してしまった部分や、筋の演出に弱さが見られたりします。一例を挙げておきますと、中盤ではやくも王女ローラを救えてしまう事です。竜殺し型の昔話では、略奪者(竜)を倒し、王女を救い帰還し、結婚/即位が続きます。ローラ姫の救出前にはドラゴンとの戦いはあり、筋に沿っているように見えますが、この竜はザコモンスターであり、略奪者ではありません。先行するべき略奪者との戦いが後回しになってしまったことにより、勇者はその後の冒険の理由を殆ど失念します。昔話には憐憫とか正義感のようなものは、キリスト教の影響を受けるまでは見られない現象であり、依頼の遂行でいかなる利益を得られるかという事をこの勇者に納得させなくてはいけません。言ってみれば王と勇者との取り引きです。そのため、結婚と即位の確約である「おうじょのあい」なるアイテムを勇者に渡すことになったわけです。しっかりとフォローが入っているところは見事としても、つぎはぎの感は否めません。 勿論、この作品がいったい何年前に作られたのかという事実、当時のROMカートリッジの容量など、これらで思うようなドラマチックの演出ができなかったというのもあるでしょうから、こんな細かい所の指摘は、「そんなこと言ったって」と言われるべきものでしょう。まあ、そんな所まで見てしまう人も居るんだな(※2)という風に思ってやってください。 とりあえず、作品解析の第1回は以上です。感想などいただけると嬉しく思います。 - 鷹月ぐみな
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