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■ 「雑考」シリーズ
 一つのトピックについて、分量問わず、書きたい事を書き連ねただけのコンテンツです。記事の感想はメールか掲示板でお待ちしています。


∇補足
今回「〜雑考」と付けました。これは記事の深度と思ってもらって構いません。「雑考<考<論<学」の順でクオリティが上がるらしいです(^^;)。


ジャンル雑考(1):ビジュアルノベル - 2002/7/7

 最近いろいろ書きたい事が出てきたのですが、何から書いたものかと悩んでいます。というわけでまずは、既存のジャンルについての雑多な考察でもしてみましょうと考えました。第1回は「ビジュアルノベル」を選び、以下続いていきます。


§1: ビジュアルノベルとは?

 ここはジャンルを解説をするコンテンツではないので簡単に書きますが、ビジュアルノベルとは主に、「全画面の絵の上に物語文章を表示し、読み進めてもらう形」の作品を指します。
 ……と、この説明だけだと、サウンドノベルも同じになってしまいますね。この二者は近接関係にあり、ビジュアルに重きをおくか効果音に重きを置くか、でジャンルが分けられます……というのが通常解釈ですが、もっと簡単に、一枚絵CGを用意するかしないかという分類でも良いかもしれません。ともあれ両者はアドベンチャー形式ゲームという大分類から派生した分派ジャンルにあたります。


§2: ビジュアルノベルはゲームなの?

 概ねビジュアルノベルはゲームではないと言っても差し支えないでしょう、なぜならゲーム的要素が薄いからです。しかしこれは傾向であって、常に備える特徴というわけではありません。ビジュアルノベルがあくまで「絵+ノベルを主体とした表現形式」であって、この形式にゲーム的なものを含めようと思えば色々可能なのです。手近な例では、パラレル時間軸の行動を認める「To Heart」は、十全とは言えないにしろゲームの範疇に間違いなく入ります。
 ここで言う「ゲーム的要素」とは何か?について説明するには、長い文章を必要としますので今回は、「作品側とユーザとのインタラクション(相互作用)による娯楽性」と簡単に留めておきます。


§3: ビジュアルノベルはなぜ受けたか?

←作りかけでそのままになってしまった(忘れてた)拙作VN(「テュアリスト・ストーリー」)……画面だけ晒し挙げ(^^;

 登場後しばらくしたら完全にジャンルとしての市民権を獲得してしまったビジュアルノベル(以下VNと略します)。これが受けた理由については複数考えられますが、主要因は先に定義した「全画面の絵に文章を表示」という形態そのものにあると考えられます。しかも多くのVNは文字は画面全体を覆っています。これはユーザにどんな効果をもたらすか?
 言い換えると、従来のアドベンチャーゲームの形式と比べて利点は何か?ということになりますが、まずは(多くは)画面全体に文章が表示される事で、否が応でも目に入り、読ませる効果があるという事です。VN以前のアドベンチャーゲームというのは絵の領域と文章部分の領域が分かれていて、文章は下の方に数行表示され、ボタンを押下するたびにすぐ次の文に移ってしまい、反芻する余裕を与えていなかったのです。
 絵についても、全画面というのはインパクト抜群です。画面にフレームやメニューが常時表示されているだけで、臨場感というものは落ちるものです。映画館的効果と言っても良いでしょう。
 これが形態としての評価の理由ですが、もちろんこの他にも、VNの最初のいくつかの作品が今までに無いストーリータイプの作品であったことと、ジャンル的に作りやすいからその後多くリリースされまくり、必然ユーザの目にあまねく触れるところとなったこと、そしてまた、物語創作に興味を持つ人にとっての良い(面倒が少なく作れる)表現手法である等の要因があるのでしょう。


§4: VNの欠点

 上記のように書くと、従来のAVGに比べてVNという表現形式が圧倒的に優位なものと考えてしまいますが、常にそうも言えません。まず、文が全てという事で、作品の質はその筆力次第になってしまうという事実。質の低いアマチュアVN作品が多くあるのは仕方がないものとしても、初期の雨後の筍的市販VNの中には酷い作品もありました。
 と、このへんは誰でも知っている所。しかしVNは思っている以上に、形態柄の制約事項が多いものです。文章というものは、(自ら読もうとした場合は別として、)何度も何度も読まされるのは苦痛となります。つまり、常にユーザには新しい文章を提供しつづけていかなくてはいけないわけです。これは物語中の時間の流れとも一致します。VNは基本的には物語時間を止めるということができないのです。
 どういう事か?アドベンチャーゲームの伝統的な「フラグ立て」展開には好き嫌いはありますが、フラグを立てるまでは空間を移動しても物語時間は流れない、という特徴を持っていました。VNとは違い、こちらから何もしない限りは殆ど文章も読まされる事はないのです。これは実に物語世界を広く味わえる良い手法だったのです。これがVNでは単線になってしまいました。従来の物語提供形式(小説など)は単線的物語なので、不具合こそ感じられないものの、両者を並べると明らかにAVGの方が広い世界観演出ができると言えます。
 欠点的なものは他にもありまして、(これも筆力関連なのですが)文章で多くを説明しなくてはいけないために、やたら心理描写が多い物語になりがちなこと。また、台詞の表示にあたって、その話者に絵のスポットライトを当てるのですが、このフェードイン・アウトが非常に煩わしいものがありました。これについてはある程度改善されているものもありますが、文章の全画面表示と人物画の表示とが常に競合する難儀な形式なのだなあと思わされます。


§5: VNの長所と意義

 などとマイナス点を挙げてはみましたが、それでもなお、VNというジャンルがゲーム業界に与えた影響など、プラス面を見ると実に素晴らしいものがあります。VNの流れるような画面演出は、今までのどのジャンルのゲームにも無かったと言って良いでしょう。ワイプ、ラティス、ブラインド、クロスフェード……このへんは殆どAVGで既に実装はされていたものだったのですが、VN=全画面絵形式で、水を得た魚のような効果をもたらしました。映画撮影で言うところのパンやズームこそありませんが、そうしたものの代わりを十分果たしてくれます。
 そしてまた、非常にシステム的に小さく完成されているものだったので、各社こぞってマネまして(こう言うとミもフタもありませんが)、その結果、短期間でVNのインタフェースもほぼ完璧の域に達したというわけです。
 なお、こうしたVNが出てから、従来のAVGも絵が全画面になるなど、VNから多くのフィードバックが成されました。AVGが自身の弱かった点をVNによって補強したと言って良い訳です。もっともそのために、AVGの特質が逆に失われつつもあるのですが。


§5: VNの系譜と今後

 VNの系譜についてはご存知の方も多いと思いますが一応。まず、AVGから派生したものであるというのは基本前提ですが、細かくは、AVG→サウンドノベル→ビジュアルノベル、という流れを持っています。
 サウンドノベルは、マルチエンディングAVGと探偵・推理物AVGの特質をミックスして生まれたものですが、文章をしっかり読む事を前提とする、という観点では「Mysty」あたりを上位の系譜として持っていると指摘しても良いのかも知れません。また、ビジュアルノベルの絵+文章という形態は、AVGでは既にあった「デジタルノベル」というジャンルの後継に当たります。同人の分野では暗黒媒体ソフトウェアーズの「ユーコニスの森で(1991)」あたりが現在の物語系ノベルゲームのまったくの先駆をなすものだったような感があります。
 ビジュアルノベルそのものの開祖はリーフの「雫(1996)」「痕(1996)」です。どちらも恋愛要素こそあれ、前者は狂気系、後者は伝奇系と異色なストーリースタイルでした。それが「To Heart(1997)」では恋愛系に一本化され、VNの基本軸が固まった感があります。なお、「To Heart」は形態こそビジュアルノベルですが、それ以外は「同級生」の流れを汲んでいます。
 ともあれ恋愛VN系列は、[同級生(AVG)] → [To Heart] → [ONE] → [Kanon] と、主役はKey系に移り、そこから先は色々あるので省略(^^;)。一方のシリアス・ストーリー系列は、[痕] から[アトラク=ナクア]へ、そこから少し飛んでTYPE-MOONの [月姫] に流れが移っています。この他、「ファントムオブインフェルノ」も紹介としては外せませんが、この系譜を受け継ぐ作品はまず出てこないでしょう。
 なお、VNお得意の心理描写をフル活用した狂気系は、[雫(電波系)] → [終ノ空(終末狂気系)] ・ [好き好き大好き!(妄想系)] などに受け継がれていますが、系統柄忌避する人も多いので、常に恋愛系の後塵を拝しながら生き延びていく事になるでしょう。
 ざっと有名どころを追っていっただけですが、VNという分野は狙いどころが狭いとはいえ、ストーリージャンル個々としてはまだ拡張・深化の余地があるな、と思っています。


§6: 製作の観点からのVN

 先にもちらりと書きましたが、VNは最もデジタル作品として作りやすいジャンルと言えます。絶対に必要な技術は文章書きのみ。絵については何となればCGではなく写真加工でも体裁は整いますし、音楽はフリーサウンド等を活用すれば良いわけです。もちろん自分らでこしらえるのが一番良いのですが。プログラムについても、今は有用なVNツール(メジャーではNScr、DNML、コミックプレイヤーもそうですね。それ以外ではHNSや最近だとAres)が世に出ており、「VNのジャンルで行いたいものの95%はこれらツールを用いて作れてしまうが故に」わざわざプログラムをする必要もなく、非常に少ない人数と労力で実現可能、というわけです。
 そして、できあがったVNは、割と多くの人に見てもらいやすいうえに、小説よりも読み手に与えるインパクトが強い。これは小説書き系の創作家にとっては嬉しいものです。


§7: 人称の制約

 VNに限らずAVG全体としてもそうなのですが、時折行動を複数の中から選択できるという仕組み柄、画面の視点は視点者=主人公によるものになり、1人称文体で語られる事になります。すると当然ながら、主人公の主観によってしか世界を表現しえず、他人の考えなどをそのまま書き出すことができません。その場合、「彼は……表情を見せた。きっと、……なんだろう」というふうに代弁的表現を使う事になるわけですが、これは主人公の心理描写でもあります。そして、こういう書き方を始めると、主人公キャラは大抵自分自身の行動についても自己心理描写を入れがちです。心理描写というものはノベルテキストにとっては欠かすことができないものですが、しかし一般的に言って、心理描写というものは多様は禁物、必要外なものまで書くと(読み手にとっての)煩わしさの元になります。特に、主人公が自分の行動に対して弁解し正当化するときの描写は余計極まりないと私は思っています。
 心理描写手法は実は楽なもので、ゆえにノベル書きに慣れていない人にとってはある程度の使用もやむを得ないかもしれません、しかし大抵人間の心理なんてものは、その発言と行動を見るだけで大方予測は付くものです。

 ところで1人称の話ばかりしてきました。「VNで3人称は書けないの?」と思う方もいるかもしれません。一見不可能ではないように感じます。つまりは選択肢というものを廃し、完全にノンストップのノベルにしてしまう場合ですね。しかしそれでもなお不都合が生じます。三人称の場合、ある程度の数の人物に等しくスポットを当てなくてはいけないわけですが、これは即ちVN上の画面においてその場に居る人物がしっかり表示されていなければいけないのですが、しかも思い思いの方向を向いていなくてはいけないわけです。三人称の場合の固定視点者は実在しないはずですから、普通のVNのように正面(視点者側)を向くというのはおかしいわけです。AVGの時代は顔キャラという方式を用いていまして、この時はまだ「便宜上正面絵になっているのであり、向きそのものどっちを向いていても良い」という約束が通用したから良かったのですが、VNの表示形式ではそういうわけにはいきません。
 そして、別々な方向を向かせた場合……つまり正面を向かない場合、これはこれでユーザに物を訴えかける力が無くなるのです。特にそれが恋愛系を目指している場合は尚更。正面(ユーザー側)を向いて「にこっ」と微笑んだり、「はわわ」とか困った顔をしたりする、これはそうしたゲームでは必要不可欠なものです。
 VNで3人称小説を実現したい場合は要するに、選択肢を出さず、画面上に人物絵も出さない。これによって漸く表現可能となりますが、それはビジュアルノベルの基本的特徴からだいぶ外れたものになってしまいます。


§8: 人称の問題を解決しようとして……

 なんか、くどくど注意モードに入ってしまいましたが折角なのでもう一つだけ。1人称方式を用いつつ、複数のキャラの感情や行動をあまねく説明しつくす方式は無いか、ということで、視点者を場面に応じて切り替えるパースペクティブ的手法があります。「ブギーポップは笑わない」などで使われた手法ですが、これは先ほどVNはパラレルな時間の表現ができない、と書いていた問題を解消し、複眼的な物語把握を可能にする大変便利なものですが、しかしこれは、実際の所書き手の技量を必要とします。視点変えは書き手にとっては自然なものに思えますが、テキストを読むことになる読み手には必ずしも自然に受け入れるものではありません。読み手が視点者=語り手に同化(受け入れること)するには多少なり時間がかかる、ということだけ覚えておいて下さい。


§E: 終わりに

 以上、VNについて思う事をいくつか述べてみました。また思いついたら書き足すことにしようと思います。

- 鷹月ぐみな


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