GAOGAO_REVIEW_06




6. 総合論評1〜モチーフを探る〜
Author:鷹月ぐみな / Update: 2014/12/13 10:52:40


 一通りGAOGAO!四部作の紹介と物語のレビューを終わりました。しかし、それは個々の作品について表側から検討しただけに留まっています。作品解析という目的からすれば、GAOGAO!世界の全体を論じるには材料が足りません。
 本節は4作品に登場する3種類のモチーフに着目し分析を試みたものです。これによりこのシリーズがどのような骨格の上に成り立っているかが明らかになることでしょう。

a. 昔話/童話/児童文学のモチーフ

 三峰さんは非常に豊かなファンタジー物語の書き手です。それは単にセンスの問題だけではなく、様々な創作分野の知識を活用し作品を作りあげているからです。ファンタジーやSFはもとより、神話や昔話にも造詣が深いようで、作品からはいくつもモチーフを発見することができます。

 GAOGAO!シリーズの中で、はじめに出てきた昔話のモチーフは、「パンドラの森」の序盤、主人公たちが森に迷い込むことです。「はじめは家や家族に守られて平和に暮らしていた主人公が、何らかの影響により家を出て、危険に巻き込まれる」という導入は多くの昔話に見られ、また森に入っていく(迷い込む)例がしばし見られます。考えてみれば、フォアナイン処女作の「LIXUS」も樹海(森)の中の都を舞台としていましたし、「ナイトシフター」もやっぱり森の中の不思議なお話でした。昔話モチーフを使ったお話が得意か、あるいは好きなのだと思います。

 さて、「パンドラの森」中心モチーフについては、個別のレビューでも少しだけ触れましたが「ヘンゼルとグレーテル」です。作品内でそのことがさりげなく明かされており、ジャッキーたちが森に迷い込んだ時に、「道に迷わないように、お菓子でも落としていこうか?」と話になり、「ヘンゼルとグレーテルみたいに」と主人公自らに喋らせているのです。もちろんそれだけでモチーフを使ったということの証明になっているわけではありませんから詳しく見ていくことにしましょう。

ヘンゼルとグレーテル、あるいはプルチーノ

 「ヘンゼルとグレーテル」はグリム童話の中でも有名なお話の一つです。完全なグリム兄弟の創作というわけではなく、口減らしについて語られた民話を採集しお話として彼らが再構成したものです。内容を知っている方も多いと思いますが、簡単にストーリーを紹介しましょう。

 どこかの大きな森のいりぐちに、びんぼうな木こりが、おかみさんと二人の子どもに相手にすまっていました。男の子はヘンゼル、女の子はグレーテルという名まえでした。(中略)ある年、その国にたいへんな飢饉がおこり、日々のパンさえ手にはいらなくなってしまいました。
(「グリム童話集1」金田鬼一訳より「ヘンゼルとグレーテル」冒頭部)

 この後、両親は4人飢え死にするよりはと、母親の決定により二人を森に捨てることにします。しかしヘンゼルの機転により最初は帰還に成功するものの、2回目は失敗して二人は森に迷い込みます。そこでお菓子の家を見つけ、喜んで食べ始めるのですが、そこは実は魔女の家で二人は捕まってしまいます。しかしグレーテルの機転により危機を脱出し、最後には家に帰還する、というものです。
 このお話の類話はイタリア民話の「プルチーノ」をはじめとして、世界各地で見られるものです。
 「プルチーノ」の筋は、前半はグリムの「ヘンゼルとグレーテル」とほとんど同じですが、不思議な家にたどり着いた後に怪物からの逃走という、一部の民話に特有のモチーフが出てきます。
 「パンドラの森」の導入の流れはかなりそれ(プルチーノ)に沿ったものになっています。
 家を出た結果森に迷い込む事になる部分は共通。森の中で空腹になる部分も同じ。その結果、リアに助けられる箇所はお菓子の家を見つけ空腹から解放される箇所に対応できます。また、森の中の家という形象は、パンドラの森でもミズハラ博士の研究所と符合させることもできます。
 研究所を調べた後で異常変異体(闇喰い)が現れ、主人公たちは必死に逃走するシーンがありますが、これはお菓子の家に戻ってきた魔女から逃走するシーンと一致します。細かく見ていけば他にも色々とありますが、プルチーノ/ヘンゼルとグレーテルの筋を活用していることは明白です。さらに言えば、クラブHT1による人口の減少すらも、民話の背景となる飢饉の発生と対応させることも可能ではあります。

 昔話のモチーフはこの後も頻繁に出てきます。異常変異体からの逃走の際、ジャッキーは研究所で見つけたものを手当たり次第に投げつけます。1回目と2回目の試行は見事にかわされて、3回目の煙玉でようやく上手く逃げおおせます。どこかで見たことのある「3度目の正直」パターンだと見過ごしがちですが、「どこかで……」の元を辿ると実は昔話に行きつきます。
 民話研究においてはこの事象は「逃走のモチーフ」「3度の繰り返し」としてカテゴライズされています。たくさんの昔話において、逃走の際に三つのアイテムを自分の後ろに投げて追跡者をかわそうとする例が存在しています。第3部「ワイルドフォース」でも、無のアエラに対してもまったく同じ手法を取って逃走したシーンがありました。
 このモチーフ活用のポイントはあくまで「逃げることが目的であること」、そして1・2回目は失敗し3回目で成功するというモチーフのお約束にあります。パンドラの森においてもワイルドフォースにおいても、目くらましできたから倒すとか、パンケーキを投げて行動不能にさせたから倒すなんて行動には出ていません。昔話のモチーフをシナリオライターがしっかり理解していることが伺えます。

イニシアティブの移行

 パンドラの森においては、部分的なモチーフの借用に留まりません。
 「ヘンゼルとグレーテル」のお話は、最初は男の子(ヘンゼル)側が知恵を働かせていたわけですが、話が進むにつれて何時の間にかイニシアティブが女の子(グレーテル)側に移っていきます。最後グレーテルの機転で危機を乗り越えてハッピーエンドに到るのです。これは面白い役割の移行であり、なぜこうした移行が発生するのかについては昔話研究家の中でも議論され、所論存在していますが、カール・ハインツ・マレの解釈を紹介しておきますと、
《ヘンゼルとグレーテル》は親からの自立を描いた物語であるが、グレーテルはこの冒険によって人格を得るものの、ヘンゼルにはまだ不十分であった。それを証明するように、二人が家に帰ってきた時に、グレーテルを育てるはずの母親は死んでいて、一方の父親は生きていた。これは父親はまだヘンゼルに対しては彼を一人前に育てる必要があることを意味する」とのこと。
 「パンドラの森」ではどうでしょうか。最初行動の主導権を握っていたのはルシアですが、次第にジャッキーが主導権を得ていきます。主人公ととても言えない頼りなかったジャッキーが、勇敢になるというほどではないにしろ、最後では他の仲間を引っ張る存在へと成長し、ルシアの立場は気が付けば後ろへと引っ込みます。主格の移行がありありとうかがえますが面白いことにヘンゼルとグレーテルのまったくの逆のパターンを描いています。
 逆にした意図ははっきりと証明することはできませんが、「女性を守るのは男性である」という三峰氏(女性のシナリオライターさんです)の願望、物語観が反映されているような気がします。そもそも美少女ゲームというものは女性がたくさん登場する物語であり、ジャッキーが表に立たなければいけなくなることは必然的なものでもあります。ルシアを助けるのもジャッキーでした。心理学的に解釈すれば、彼はアニマを獲得し独り立ちを成し遂げたと見る事ができましょう。
 つまりヘンゼルとグレーテルは主にグレーテルの自立と成長を描いた物語であり、それに対応させる形で、パンドラの森はジャッキーの自立と成長を描いた物語というわけです。

 昔話の後継となるファンタジー文学からのモチーフについてまで含めて細かく見ていくと枚挙に暇がありません。「ワイルドフォース」の冒頭、ウルフィとラビィが二人が穴に落ちてしまうことについては、ラビィが言いつけを守らなかったという禁止のタブーの侵犯という昔話の伝統的なモチーフに加え、穴に落ちる展開はあの有名なファンタジー文学、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」を意識しているものと思われます。
 「うさぎを追っていたらアリスは穴の中に落ちてしまいました」がキャロルの話の冒頭部であり、長い穴を落ちた後、アリスは地下世界を冒険していきます。そして様々な物言う動物だちと出会います。
 わざわざ説明する必要はもう無いような気がしますが、ワイルドフォースでは、逃げるうさぎ(ラビィ)を追っかけたウルフィは一緒に穴に落ちました。そして地下世界を冒険し、様々な変異体(動物)と出会うわけです。対応は完璧です。

 なお、ワイルドフォースで描かれる地下の国の描写そのものは不思議の国のアリスとはいくぶん異なるものです。それはどちらかというと昔話、神話の世界に近いものです。昔話には地下の世界が描かれることがたくさんあります。それは「地上と同じように地面があり空があり明るい世界」なのです。しかし、ワイルドフォースでは第1章は寂寥とした空間を彷徨いました。これはよくある牧歌的な昔話ではなく、ケルト神話、北欧神話の世界を彷彿とさせるものでした。あるいは昔のアイルランドのイメージそのままだったかもしれません。
 そんな神話のモチーフについてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

b. 神話のモチーフ 〜パンドラ〜

 神話からのモチーフ活用も読み取れます。第2部のタイトル表題にもなっている「パンドラ」はギリシア神話由来です。パンドラにまつわる神話は前8世紀の詩人ヘシオドスが伝えたとされています。
 火を盗んだプロメテウスを罰するために神が女(パンドラ)を創造し彼に与えました。神々は彼女に贈り物を与えましたが、その中に不思議な箱がありました。但しこの箱は開けてはいけないという禁止(タブー)を課せられました。
(余談ながら実はこのパンドラ神話のオリジナルは箱ではなく壺です。後世の人間によって芸術的な作り変えが行われた結果、箱となってしまいました)
 しかし彼女はタブーを破ってしまいます。パンドラが好奇心にかられて箱を開けてみると……箱からはあらゆる災厄が飛び出していきました。それは「病気」であったり、「怨恨」や「復讐」といった負の感情などです。最後にただ一つ残ったものがあって、それは「希望」でした。それゆえ人々はそんな不幸な時でも希望を持っていて、それゆえ力強く生きていくことができるのだといいます。
 三峰さんはこれをモチーフと言うよりはテーマとして用いています。「人間自身が招いてしまった災厄。そして望まれぬ落とし児。しかしどんな絶望の中でも希望は残されている」と、ジャッキーの父親は息子たちに未来を託したのです。
 GAO!GAO!作品内にはこのような神話・伝説を由来とするものがさまざま取り入れられています。たとえば次のような一言からも見つけられます。「パンドラの森」の後半、ナギに対する評価で「永遠の処女、っていう感じだな……」というテキストが与えられます。これはイエスの母マリアの慈愛のイメージか、あるいは処女神アテネの神々しさか、そのどちらかを意識したものなのでしょう。

解題:パンドラの箱に残ったのは希望か?

 少しだけGAOGAO!作品の解析から若干横道に逸れますが、パンドラの箱に残ったものが本当に希望なのか、そもそも希望とは何なのかについて少し考察してみました。
 実は先ほどの話は文字通り捉えていくと気になる点があるのです。箱から出たものが怨恨や病気などの害悪であり、それらが地上に蔓延するとしても、なぜわざわざ希望だけもったいぶって放たれずに残った状態になるのでしょうか。パンドラに関する話は例外なく最後の一つを残しています。中にはパンドラ自身がわざわざ力を振り絞って締めたという説すらあり、希望をわざわざ塞いでしまってあんた鬼ですか、と。もしかしたら最後の一つは希望ではなくて「絶望」で、それだけは断固阻止したからこそ希望だけが生き残ったのでしょうか。
 ここで興味深い解釈があります。箱にはそもそも実は怨恨や病気のような害悪はただの一つもなく、みんな天国にある素晴らしいものだったというのです。しかしその中でも最後の一つは「予知の力」で、もしもこれが外に溢れていたら人間は自分がいつ何をして、いつ死ぬかすべて分かってしまい、生きる価値をなくしてしまう所だったのだ、と。
 こんな解釈に思わずなるほどと納得したくなりますが、結局のところすべて後世の人の合理的な解釈です。
(※1998年に本稿を書いた時はだいぶ思索してこの文章を書いたのですが、今ではWikipediaでパンドラの項目を見ればしっかりこの件にも触れられていて、ずいぶんと調べ物が楽な時代になったものだなと感じますね……。まあ、パンドラ伝説の起源までは書かれていなかったので本項を載せる意味が残っていてよかったですw)

 さて、色々触れてきたこのパンドラ伝説、そもそも何を元にして生まれた伝説なのでしょうか。メルヘンには大抵源となるものが存在します。実は昔話分野においては「禁じられた小箱」というモチーフで似たような話が様々存在しています。大抵その中には人々に永遠の益をもたらすものが入っているのですが、タブーを破る主人公は、実はそれによって死の危険を受けるのです。メラネシアの神話では、小船に乗っている途中の主人公が箱を開けるとおびただしい魚が現れて船をひっくり返しますし、アファナーシェフがまとめたロシアの昔話では、島で箱を開けると、やはりおびただしい数の家畜が出てきて、島を埋め尽くしてしまいます。ここでは出てくるものそのものは罪悪ではないのに身を亡ぼすのです。そんなこれらの物語のルーツはパンドラ伝説のルーツより明らかに古い事が民俗学的な検討により証明されており、パンドラ伝説は後世によるそれらの文学的、象徴的改作であると言われていますが、それでは益がいつのまに罪悪にすり変わったのでしょうか。

 トルストイのロシア民話集に「小さい悪魔がパン切れのつぐないをした話」というのがあります。貧乏だったけど働けば小さな幸せを得られた農夫が、小悪魔の「親切」によって、農夫の望みを叶えてあげます。益が無限に得られるようになったところで農夫は労働することを止めて享楽に耽り堕落した、というお話です。この話の中に回答が見出せる気がします。メルヘンは人間の願望が具体化したものという解釈があるのですが、同時に無尽蔵な幸せには毒があることを人間は悟っていて、その両者がコミカルに解釈されてこのようなモチーフが生み出されたとされています。

 わざわざ脱線気味にこうして書いてきた余談の結論ですが、「パンドラの森」のドームシティや「カナン」のシェルターは、すでに機械やバイオ技術によって食物に関しては永久機関を実現しています。最低限、人は働かなくても生きていけるのです。それは人間の欲望とは合致するものの、「魚を捕り、家畜を育ててきた」労働の本能と合致しません。ゆえに内部の人々は少しずつ滅びへと向かっていく……このような解釈をしてみても面白いかな、と思います。実際、ドームシティは全て残っていたわけでもなく滅びたものもありましたし、シェルターに閉じこもった人間たちはカイトを除いてみな滅びました。このシビアな事象は裏を返すことで、「人間は自然のあるべき姿に回帰するべき」というメッセージが得られるように感じます。言ってみればルソーの世界観ですね。
 以上、このあたりは筆者の推測が多分に混じっていますが、わざわざ「パンドラ」と題名に付けたことから、こういったこともある程度まで考えていたのではないかと見ています。

c. SFのモチーフ

 4部作を通して明白なくらいSF的な設定が登場しているため、改めて指摘するまでもない感もあるのですが、三峰氏はやはり多くのSF作品の影響を受け、そのモチーフを利用しています。

 まず「ラジカルシークエンス」が「フランケンシュタイン」をモチーフにしていることは既に述べた通りですが、この作品は「世界で最初のSF小説」とも呼ばれています。
 「パンドラの森」ではドームシティ―、「ワイルドフォース」は変異体など生命体のバイオ研究施設、「カナン」ではシェルターなどSF要素が様々登場してきます。このあたりはどれが元ネタとも判別できないくらいSFではお馴染みですから作品名の例示は避けますが、重要なのはその素材の活用のうまさです。
 例として、「カナン」の冒頭で使われたシェルターについて見てみたいと思います。
 シェルターとは、人間の世界が滅ぶ寸前にそれを逃れるために地下に作った最後の避難所です。入り口は分厚い扉で放射能を遮断する役割を持っています。その先にもう一枚扉があり、この空間は「エアロック」と呼ばれます。すなわち外界から出入りする際に異質な空気、細菌類を取り除き、それからシェルター内部に入れるようになっています。(カナンではこの描写はありませんでしたが、代わりにパンドラの森のゲート部分で見られました)。
 内部は空気の循環システムや、一部の食料を自給できる機構が必ず整っています。彼らにとっては外界はもはや世界ではなく、このシェルターだけがすべてなのです。だから規模も大きなものになると、内部に図書館や娯楽施設も作られるようになり、いわゆる「ミニ都市」となっていきます。
 生活は外に出れない以外は不自由がないようになっているはずなのですが、平和そのものなのかというと……ウィルスがほんのちょっとでも侵入したり、入口を壊してバケモノが入ってきたり、電気系統が止まったりしたらと、人々は不安に怯えています。その不安が身を蝕み次々と人が死んでいき、最後は滅びる、という物語がSF小説にいくつか見られます。
 この展開は、「シェルターストーリー」と呼ばれているものです。傾向を見るに、「人々はシェルターで生き延びて、外に危険がなくなるそのときまで、あるいはシェルターの中で永遠に暮らしたのでした」というような成功的な終わりを迎えるものはほとんどなく、大抵はじわじわ人々が死んでいき、全滅するか、ごくわずかが生き延びて外に出るか……という結末を辿ります。
 シェルターは皮肉なモチーフで、「人々を助ける最後の存在」を出したとき、すでにその人々は滅びゆく運命が決定付けられているのです。比喩的に言えばシェルターは巨大な棺桶そのものなのです。有名なシェルターストーリーとしては、ロメロの「死霊のえじき」などがあります。
 シェルターは別に地下にある必要はなくて、冴木忍の「星の大地(全3巻)」のように、巨大な「空とぶ船」である場合もあります。この作品もやはり内部混乱の結果、制御を失い船は墜落、全滅しました。
 作品全体のテーマとして使うわけではなくモチーフの1つとして用いる場合は、主人公は必ずしもシェルターに最後までいる人間である必要はなく、滅びたシェルターを探索して、それがいかにして滅びていったかの情景を日記やコンピュータの中で見て思いを馳せる、そういった演出もあります。「カナン」ではシェルターの生き残りとして外に出たカイトですが、後にミラとの関わり合いで入った別のシェルターでこのような経験をすることになりました。

 割と細かいSFの設定も取り込むのがお好きなようで、たとえば「カナン」の終盤、主人公たちがイジュウインシティに乗り込んだ際、行き止まりに多くぶつかり「なんか誘導されているみたいだ」と困惑するシーンがあります。実際、その通り彼らは誘導されていました。機械都市の内部コンピュータを駆使して壁を作ったり動かしたりして侵入者を迷わせることも、誘導することもできます。これは可動ダンジョンと呼ばれる仕掛けで、一度作品で書いてみたくなったのでしょう。

d. モチーフまとめ

ラジカルシークエンス
 メアリーシェリー「フランケンシュタイン」
パンドラの森
 グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」、「プルチーノ」
 パンドラ神話
ワイルドフォース
 魔法昔話:タブーとそれを破ることによる不幸
 ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」
カナン
 SF:シェルターストーリー

 作品に元ネタがあることはよくあることです。しかし程度の低いお話では明快なパクリが見えたり、元ネタから欲しいところだけ切り抜いたりと好き勝手な活用が見られるものですが、GAO!GAO!シリーズでは元ネタとなるモチーフを意に沿った形で活用し、自分の作品世界に織り込んで昇華させています。プレイしてみて味わえるその美しさ。一級の書き手による業というべきよりありません。

 さて、いよいよ材料が集まりました。
 4つの世界の中に織り込まれたモチーフについての分析を終えました。私たちに残された課題もだいぶ少なくなりました。あとは三峰氏が描きたかった世界観テーマの考察と主人公についての考察、そして変異体と人間との葛藤・対立についての話を残すのみです。それについて全体的な視点から論じることがいまようやく可能となりました。
 この長い解析記事もここから終盤ですが、引き続き最後までお付き合いください。





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